爆撃からよみがえった街、ドレスデン2010/01/02 21:11

あけましておめでとうございます。今年も、当ブログをよろしくお願いします。


年末から、お正月にかけて、ドイツ旅行に行ってきました。旧東ドイツの3都市、ドレスデン、ライプチヒ、ベルリンをまわりました。最初の日は、ドレスデン空港に深夜について、ホテルにすぐ入りました。翌朝、明るくなってから、エルベ川越しにドレスデン旧市街のシルエットを見たときの感激は、忘れられません。この街が、第二次世界大戦中に空襲を受けて、破壊されたことは、映画”ドレスデン”で見ました。その後、市民たちが、一個一個の石を積み上げて、現在見るような美しい市街を復興しました。

アウグスツス橋でエルベ川を渡って、旧市街に行きました。まず、バロック様式の巨大な大聖堂に入りました。中では、ちょうど、ミサをやっていました。続いて、有名なオペラハウス、ゼンパー・オーパーを見ながら、そのむこうにあるツヴィンガー宮殿の、アルテ・マイスター絵画館に入ります。森鴎外の小説”うたかたの記”の中で、日本人画学生の巨勢が絵画を学んだとされている場所です。

ラファエロの”サン・シストの聖母”を始めとして、フェルメール、レンブラント、デューラーなどの名画がありますが、くわしいことは”思い出の美術館”で書きましょう。

その後、ドレスデン復興の象徴であるフラウエン教会に行きました。あの映画にも出てきましたね。見上げるような雄大で華麗な教会です。残念ながら、中でコンサートをやっていて、チケットのない私たちは入ることはできませんでした。


夜は、ゼンパー・オーパーで、ハイドンのオペラ、”エジプトのジュリアス・シーザー”を見ました。一面にボックス席が並ぶ、バロック様式のオペラハウスです。このオペラは、名前も聞いた事のないような、日本ではあまり見るチャンスのないオペラです。音楽は、チェンバロなどの古楽器を使った、古典演奏です。一方、舞台上の演出は、まるきり現代劇で、そのギャップがおもしろいですね。ただし、バロック・オペラは込み入っている上に、こういう演出ですから、話のすじは良くわかりませんでした。


バッハゆかりの街、ライプチヒ2010/01/03 14:04


次の日は、ドイツの新幹線、ICEに乗って、バッハゆかりの古都、ライプチヒに行きました。バッハ好きの私には、欠かせない選択です。”荒城の月”の滝廉太郎が、留学した街でもあります。

ライプチヒ駅に着いてすぐ、トーマス教会に急ぎました。バッハが楽長をしていた教会です。教会にすべりこむと、なんとかミサにまにあいました。パイプオルガンの伴奏で、バッハのコラールを歌っていました。バッハが弾いたオルガン(まったく同じではないでしょうが)の響きを聴けるとは、大感激です。

その後、メンデルスゾーン・ハウスに行って、室内楽のコンサートを聴きました。ブラームスの”ヴァイオリンとピアノのソナタ、ニ短調”と”ピアノ五重奏、ヘ短調”です。ピアノは、日本からライプチヒに留学している人でした。

お昼は、バッハのコーヒー・カンタータに縁があると言われる、カフェ・バウムで、肉団子入りのスープをいただきました。ふたたび、トーマス教会にもどり、内部をくわしく見学しました。バッハを描いたステンドグラスもあります。内陣にあるバッハのお墓におまいりして、ろうそくを捧げて来ました。


Yokoがオペラづいてしまって、この日もまた、ライプチヒ・オペラハウスへオペラを聴きに行くことになりました。2日続けてオペラという強行軍です。演目は、ワーグナーの”ローエングリン”です。音楽は、伝統あるゲバントハウス・オーケストラです。今回もまた、おかしな演出で、ローエングリンを小学校の教室内の出来事として演じています。オペラ初級者の私としては、もっと普通の演出で見たかったですね。主役のローエングリンの声が出なくなって、代役がかげで歌うというアクシデントもありました。

ライプチヒ・オペラハウスは、ゼンパー・オーパーとはうって変わって、あっさりしたデザインです。東欧アールデコとでも呼びたいような、直線を多用した様式です。今回の演出にはよく合っていました。


壁崩壊20周年を迎えるベルリン2010/01/03 20:08


次の日は、再びICEに乗って、ベルリンに行きました。ベルリンといえば、森鴎外の”舞姫”の舞台です。また、ベルリン表現主義の画家たちも、この街で活躍しました(そして私には、ルー・リードの”ベルリン”も思い出されます)。今年は、ちょうど、ベルリンの壁崩壊の20周年で、いろいろなイベントがあるようです。

まず、私たちの敬愛するバウハウスの作品を展示する、バウハウス・アルヒーフに行きました。バウハウスは、20世紀デザインの基礎を作った造形・教育集団です。ここには、彼らの、建築、テキスタイル、グラフィック、家具、陶芸などの作品が展示されています。Yokoは、バウハウスの色彩教育プログラムに大いに興味を持ったようです。


その後、第二次大戦の爆撃で破壊された、カイザー・ウィルヘルム教会に行きました。oteshioさん、Nさん、おすすめの場所です。破壊された教会のとなりに建てられた、ガラスの教会が実に美しい。ちょうど、クリスマス・マーケットをやっていて、たいへんな人出です。

夕方には、プロイセン王家の王立磁器工房、KPMの展示会、”KPM Welt”に行きました。ティアーガルテン駅近くのKPMでやっています。磁器の絵付けの見学をしてきました。

次の日は、ベルリンの中心、ブランデンブルグ門に行きました。寒さにもかかわらず、多くの観光客が来ています。門の前では、壁崩壊20周年のパーティーの準備がされていました。そして、南に、ポツダム広場に向かいました。ここには、壁の一部が保存されています。

次に、ポツダム広場の近くの、クルトゥーア・フォーラムに行きました。ここには、複数の美術館が集まっています。この中のゲメルデ・ガレリー(絵画館)に入りました。ここには、フェルメール、ブリューゲル、レンブラント、デューラーなどの名作が並んでいます(くわしいことは、また、”思い出の美術館”で)。


夜は、待望の、ベルリン・フィルハーモニーのジルベスター・コンサートです。とは言っても、大ホールのベルリンフィルとランランのチケットは取れなかったので、室内楽ホールでやるベルリン・シンフォニエッタのコンサートです。フィルハーモニーに着くと、”チケット売ってください”という紙を持った、日本人らしき人の姿がちらほら。

大ホールに行く得意げな人々を横目で見ながら、私たちはわきの室内楽ホールへ。六角形の舞台を客席がかこんだ、すっきりしたモダニズムのデザインです。プログラムは、バッハの”ブランデンブルグ協奏曲3番”、モーツァルトの”ヴァイオリン協奏曲4番”、チャイコフスキーの”弦楽セレナーデ”などです。

ブランデンブルグ協奏曲では、大丈夫かなと思うところもありましたが、弦楽セレナーデはなかなかのできでした。びっくりしたのは、キタラでもめったに起こらない楽章間拍手が、盛大に起こったことです。これが本当にベルリンの観客でしょうか? ともかく、オーケストラ、観客を含めて、ゆるーいムードで、楽しめました(ベルリンフィルのチケットが取れなかった負け惜しみでしょうか)。

次の日は、朝おきると、雪が積もっていました。雪景色のベルリンもなかなかです。ベルリン市民は、つるつるとすべっていましたが、私たち札幌市民は、こういうとき強いですね。この日は、シュプレー川の中州にある博物館島に行きました。

まず、その中のペルガモン美術館に開館前に行くと、雪にもかかわらず、すでに行列ができていました。待たされた後、中に入ると、ゼウスの大祭壇に圧倒されます。その他に印象深かったのは、イシュタルの門の青いタイルの美しさです。

そして、南側にある、旧ナショナル・ギャラリーに行きました。ここも、行列です。ここには、モネ、マネなどの印象派の作品、象徴主義のベックリンなどの作品があります。

次に、となりの新美術館に入りました。ここでは、エジプト美術の華、”ネフェルティティ像”を見ます。エジプト美術の中でも、アマルナ時代の美術は卓越しています。疲れてきたので、その他は流して見ました。

その後、博物館島近くのアンペルマン・レストランで食事して、アンペルマン・ショップへ。アンペルマンというのは、旧東ドイツの歩行者用信号のキャラクターで、そのかわいらしさから、人気になっています。

夜は、またまた、Yokoの熱烈な希望で、ウンターデンリンデンの国立歌劇場でオペラ観賞です。今度は、モーツァルトの”魔笛”です。こちらの劇場は、ドイツ・ロココ様式の装飾たっぷりの建築です。私たちの席は、3階のはしのほうで、舞台が3/4くらいしか見えません。しかも、さすがに疲れてうとうとしてしまい、残念なことをしました。しかし、パパゲーノの歌と、夜の女王のアリアのときは、しっかり起きて聴き、堪能しました。衣装や舞台装置は現代化していましたが、基本的な演出は正統派と言ってよいものでした。

このようにして、いそぎ足の旅行は終わりました。私たちも若くはないので、少しセーブしようと思っていたのですが、行ってみると、あれもこれも見たくなるものですね。最後には、ベルリン発の飛行機の遅れで、札幌到着が1日ずれるというオマケまで付きました。


思い出の美術館125:アルテ・マイスター(ドレスデン、ドイツ)2010/01/09 16:37

ドレスデンは、旧東ドイツに属する、ザクセン州の古都です。エルベ川の両岸に広がる、美しい街です。第二次大戦のときの爆撃で、市街はほぼ完全に破壊されましたが、その後、市民の努力によって、かつての美しい街を復興しました。

旧市街の西部にあるのが、ザクセン王フリードリッヒ・アウグスト1世が18世紀に建造した、ツヴィンガー宮殿です。その一角にあるのが、 アルテ・マイスター絵画館です。ここには、アウグスト1世のコレクションを中心とする、ルネッサンス ー バロック期の絵画が収蔵されています。数年前のエルベ川の洪水で、ここの絵が避難したことも記憶に新しいことです。

受付を通って2階に上がると、展示室です。右の部屋に入ると、ルーベンス”レダと白鳥”があります。次に、レンブラントの部屋です。”鷲に捕われたガニメデ”、”放蕩息子の帰還”が有名です。端の部屋には、フェルメールの”窓辺で手紙を読む少女”、取り持ち女”がひっそりとあります。前者は、フェルメールらしい静謐な世界を表現しています。

奥の部屋には、ドイツルネッサンスのクラナッハ、デューラーがあります。ぐるっともどって、入り口の左の部屋に入ると、イタリア・ルネッサンスの部屋です。ここには、この美術館を代表する、ラファエロの”サン・シストの聖母”があります。この絵は、聖母よりも、足下の天使で有名ですね。

この宮殿のとなりには、有名なオペラハウスの、ゼンパー・オーパーがあります。この日の夜、ここでヘンデルのオペラを見ました。

映画”ジェイン・オースティン”2010/01/10 20:31

仕事始めから1週間がたちました。今日は、シアターキノでイギリス映画の”ジェイン・オースティン”を見てきました。ジェイン・オースティンは、18世紀末のイギリスの女性作家で、”高慢と偏見”で知られています。彼女が小説を書き始める前の、青春時代の恋愛を描いた映画です。

映画の中には、”高慢と偏見”の1場面を思わせるシーンが、いくつかはめこまれています。この小説のファンには、興味が持てるところです。ただし、この映画が、どの程度史実に忠実なのかはわかりませんが。実人生での葛藤を、創作活動の中で昇華したというところは、時代はちがいますが、紫式部について言われていることを思わせます。

物語の舞台は、ハンプシャーというイギリス南部の地方です。イギリスの田舎の美しい風景がふんだんに出て来ますが、以前に行ったコッツウォルズの風景を思い出しました。